2016/10/07

爆竜戦隊アバレンジャー(11)「アバレサイキック。ブヒっ。」

急に成績が良くなった若菜。怪しんだ笑里は後をつけるが。

生徒たちは全てモニターを通して管理されていた。

「テンサイキック様の邪魔をする奴は許さない」

学習塾で超能力を手にした若菜。

塾では校長(テンサイキック)が、サイキック砂糖大根を配る。

「頂きます、校長先生」素直に口へ運ぶ若菜。

校長は侵略作戦の開始を宣言。さらに洗脳が強化される。

潜入していた笑里たちに助けられ、一旦は洗脳が解けるが。

「私、超能力を無くしたくない」拒絶する若菜。

テンサイキックは笑里にも砂糖大根を食べさせるよう仕向ける。

抵抗するが無理矢理ねじ込まれてしまう。

サイキッカー軍団の一員となってしまった笑里。

アバレンジャーに襲いかかる。

何かを与えられる代償として支配されてしまうという構造。

一旦は洗脳が解けた若菜が、笑里の助けを自らの意思で拒絶する展開が印象的。
このやり取りは、ゼロ年代的な感覚がかなり強く反映されていると思う。

笑里「超能力でいい点取ったってしょうがないじゃん!成績なんか悪くたって、優しくて素直ならそれでいいよ!」
若菜「そんな風に言うけど、現実の世の中はそうじゃないよ。うちのお父さん、人がいいのだけが取り柄で、真面目でコツコツやってきた。でもリストラされた!キレイ事言ったって、世の中そんなもんなんだよ!」
モブ「そうだよ」「楽して何が悪いんだよ」「お前に何が分かるんだよ」

この放送の前年から、改訂学習指導要領が施行された。いわゆる「ゆとり教育」である。
「生きる力」を育むという美辞麗句が喧伝される一方で、それを出し抜くかのように中高一貫校の受験率が高まりをみせていた。
台詞に表れているような「正直者がバカを見る」という冷笑、不正直なマネをしてでも「生き残らなければならない」という焦燥感が蔓延した時代ではないだろうか。

与えられるものが学力そのものではなく透視能力である点も興味深い。
「試験で計測される能力は、本来の知性とは異なる空疎な選別の基準に過ぎない」という価値観は「ゆとり教育」とも共有しているが、かと言って代わりに「生きる力」を求めるでもなく、「その空疎な選別にさえ適応できれば事足りるのだ」という、冷ややかさを感じさせる設定だ。

作中で語られる対立軸が「楽をして得る結果/努力して得る実力」ではなく「競争に負けることを受け入れるか/不公正な方法で逆転するか」という選択である点は、格差社会の進展を思わせる。競走結果や自分の持てる力は、何ら努力を伴わない諸条件によって既に決定されているという、無力感・不公平感が表れている。

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